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五十三次(25)

本当に嫌んなっちゃうんです。頭も体もすっかり回復してからブログを
書こうと思っていたら、どんどん「五十三次」の事を忘れて来るので、
取り敢えず(と言っても、もう一度は無いのです)書きます。

今回は舞阪宿から御油(ごゆ)宿までの2泊3日で40キロ以上の行程でした。

大体一般の人って、五十三次の宿をどれ位知っているのかしら? 私も
このツアーに参加してから初めて知ったものが殆どなんですよね。

弥次さん喜多さんのお話で有名になった所はなんとなく知っていても、
後の宿は何にも無いものばかりで、歩いていてもつまらないものもとても
多いのです。

今回も一週間以上経ったら記憶に残っている場所が無い!みたいです。
まっ、それは私の頭の悪さでもあるんですけど。

レジメに載っている所をあげてみましょう。

舞阪宿:今切渡しの渡船場として賑わったところで、早くから交通の要所
となり、今川氏の時代には宿駅の負担が課せられていて、明治初年まで
往還通りに沿って本陣・旅籠・問屋場などが並んで多くの旅人が宿泊した。
ってありますが、往年の面影は全くありませんでした。

新居関跡:徳川家康がここの岸に関所を設けて、柵の中に渡船場があった。
この関所は岬の先端にあって、関所を通らず岸に船を着けようとしても
すぐに分かり、取り締まりには絶好の場所だった。又、全国に設置した
53ヶ所の関所の中では最大級の規模で、良く言われる「入り鉄砲に出女」
を中心に取り締まったようです。

新居宿:宿場町であり港町でもあり、関所もあったので人々が交錯して
活気に満ち溢れた宿場でありました。

白須賀宿:日本橋から32番目の宿場で、1707年の大地震による津波で
元の宿場は壊滅したので、今の場所(と言っても分かりませんよね)に
移された。ここの有名なのは曲尺手(かねんて)と呼ばれる枡形に折れ
曲がった道がある事です。

二川宿:遠江から三河に入って最初の宿場なのに、あまり大きな宿場
ではない。ここには本陣資料館があって、昭和63年に江戸時代末期の形
に復元されました。とても綺麗な建物で、資料館も充実していました。

岩屋観音:岩屋山に約3mの観音像があって、ここに行くのには結構
大変で、山自体は小さなものでしたけどあたり一面が岩なので、あち
こちに鎖の綱が張ってありそれに掴まって頂上まで、辿り着きました。
ここが今回のツアーに一番大きな山場でした。

吉田宿:以前は交通の要所として発達した宿場でした。

聖眼寺(しょうげんじ):ここには松尾芭蕉が詠んだ句碑があって
「松葉(ご)を焚いて手拭あふる寒さ哉」が彫ってありました。

御油宿:江戸時代初期は熱田・桑名に次いで大きな宿場でした。ここは
戦災にあわなかったので、江戸時代と殆ど変らない町並みや連子格子の
家が数多く残っていました。

御油の松並木:御油と次の赤坂宿の間に、600m位の松並木が続き
すべての松に番号札がついていて、昭和19年に天然記念物に指定された
からか、ちゃんと管理されていました。いわゆる東海道の松並木と
呼んでも良い位で、昔を彷彿させてくれました。

本当に簡単にしか説明出来ずにごめんなさい。今回はやっと仲間が
すべて、これから一緒にツアーに参加出来る事がはっきりして、皆で
安心して楽しめた歩きでした。

初めての2泊3日は本当に疲れました。疲れ切っているのに、ベットに
横になってもなかなか寝付かれず、我が家に良さを再認識しました。
脹脛・脛・太腿、おまけに腰にまで湿布を貼って頑張りました。  Y
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* COMMENT *

〇〇宿はどの辺り?などと聞かれてもはっきりと答えられませんね。
もっと地理を勉強しておけばよかったです。
東海地方に近づいてきましたが、岐阜県は素通りで残念です。
次回は、春真っ盛りで良い季節になりますね。

そうなんですよ、岐阜県は通り過ぎちゃうんです。東海道五十三次の宿場を巡るツアーなんだもんで。4月は下旬ですから、今度は雪の中を歩くなんてことはないでしょうね。

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